自分との約束(Commitment)を守る

約束は守りましょう、というのは小さい時から教えられた、他人との間で果たさなければならない、もっとも重要な事柄です。 守れそうもない約束はしない、ということも同時に心に深く刻みつけられています。

 

友達との約束であれば、たとえ約束を破ることが多いとしても、性格が許されないほど破たんしていない限り、「あいつはそういう奴だからな」という諦念と少しの優しさのなかで何とかやり過ごすことができます。しかし、社会に出るとそうはいきません。

 

時間を守れない、期日を守れないなど約束を守れないことが何度もあると、信頼されなくなくし、信用を失います。怖いのは明示的に約束する、ということがなくても仕事のなかで、約束が自動的に行われてしまうことです。就業自体は契約により成立しますが、与えられた役割、仕事において、社員の義務としての心理的契約(約束)が附帯しているからです。

 

これをやってくれる筈だという期待と、やらなければならないという義務が暗黙知としての約束になります。規則やルールの遵守はもとより、常識的に行動することや上司からの指示や命令には、これをやって当たり前、できなければ社会人としての決まり事を守れない、約束違反ということになるのです。

 

さらにまずいことに、その結果、仲間や部下にも仕事ができない(約束を守れない)ことを見透かされると、仲間には容赦なく置いていかれるし、部下からは疎んじられるという羽目に陥ります。嫌な上司から見放されることも大きな痛手ですが、さらに仲間や部下から相手にされなくなることのほうがどれだけ惨めなことか。

 

なので、意識下ではきちっと約束は守ろうという思いで行動していたとしても、実は無意識のうちには、顧客は言うに及ばず、上司も含めた他者との人間関係を成立させようとして、約束を懸命に守ろうとしているのだと思います。それなのに、どうでしょう。自分との約束は結構簡単に反故にしたりします。

 

計画を立て、これをやろう、あれをやるぞと決めたのに、「あーあ、またできなかったよ」とやり過ごすことになるのです。自分以外に誰も咎めない、バカにされない、誰も面従腹背しない、自分もすぐ許して忘れるといった状況にあるため、自分との約束が一番破り易いことに気付きます。

 

自分しか知らない約束は破りまくれるのです。始めはあった後ろめたさも徐々に麻痺し、そのうち後悔のカケラもなくなる。そうやって人生は刻々と過ぎていくのです…。

多かれ少なかれ、思い当たる節がある読者は少なくないのではないでしょうか。残念なことに、私にはそんなことがよくあります。自分との約束を厳守することに注力しなければなりません。

 

  1. やりたいこと、やらなければならないことへの思いをもち、
  2. 信念に昇華して、
  3. 必要な技術や
  4. 人間力を身に着け、
  5. 他者とコミュニケーションをとりつつ
  6. 成果を挙げること。

 

それが、達成感を得て自分が成長する方法だとすれば、その背景には自分との約束を果たす前提があります。どのようなことでもよい「決めたことは必ずやる」という姿勢が成功の要諦です。決めたことができない、約束を守れないというのは思いや信念がない、執着できていない証左だということに辿り着きます。強い思いを持ち、小さなことでもやり通すことの積み重ねが、本当にやりたいことを成し遂げることにつながると信じ、自分に嘘をついてはいけないと反省しなければなりません。

 

成し遂げたいことへの思いや信念の強さに、自分の約束を守る意志の強さが影響を受けるとすれば、自分の成し遂げたいことを、再度明確にすることから始めなければなりません。

自分との約束を守る強い意志をどのようにつくり維持するのか、考えることが必要なんですね。

 

ところで、Commitment(コミットメント)には、単に、当事者の間で取り決める「約束」というだけではなく公約、責任、言質といった意味があります。promise(プロミス)よりも強い言葉であり、社会人に対してはコミットメントが求められるケースが多いですよね。自分で決めたことについても、相手や組織との約束に付随する責任以上の強い責任をもつことが求められるとすれば、自分の約束もプロミスではなく、コミットメントの重みをもたせなければなりません。

 

組織や社会で約束を守るように、自分との約束を強い意志をもって守る。それらを通じて達成感を得続けて成長してこそ、組織や社会で成果を挙げられる自分になれると信じ、執着をもって日々をクリヤーしていきたいものです。

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